八甲田山と言うと、100名山にもなっている「大岳」を中心に、酢ヶ湯、八甲田コープウエー辺りをイメージする人が多いかもしれない。ただこれらの地域は「八甲田連峰」の北半分で、山域としての広がりは「櫛ヶ峰」を中心とした南八甲田の方が広い位である。
「天は我を見放した」の言葉が有名になった、明治時代の雪中行軍で沢山の死者が出た遭難事故も、この南八甲田で起きている。その南八甲田山域の盟主的な存在の櫛ヶ峰(上岳)を訪ねることにした。
猿倉温泉登山口5:50→矢櫃橋6:50~7:00→乗鞍岳入口7:35→駒ケ岳入口8:15→笹ヶ峰入口8:40→笹ヶ峰山頂9:45~10:00→笹ヶ峰入口10:50~11:05→駒ケ岳入口11:25→乗鞍岳入口12:10→矢櫃橋12:50→猿倉温泉登山口13:50
猿倉温泉より歩き始める
碇ヶ関の道の駅で車中泊した翌日、いよいよ南八甲田の盟主である櫛ヶ峰を目指す事にする。道の駅を出発した頃は薄暗かった空も、登山口となっている猿倉温泉に着いた時には明るくなり、天気も上々で山日和になりそうな朝であった。早速装備を固めて出発する。猿倉温泉からは駒ケ岳を経由する山道コースもあるが、余り歩く人が居ないのであろう。登山口付近から藪に覆われ、道が判別し難そうである。迷わず、旧道コースを辿る事にする。
旧道コースは古い車道道であるが、藪に帰しつつある処が多く、道幅は普通の登山道と変わらなくなっている処が多い。ただかつての車道だけあって傾斜は緩やかで、テンポ良く事が出来た。
沢のような湿った登山道を進む
登山道を歩き始めて約1時間で、矢櫃川に架かる矢櫃橋に到着する。ここから先、矢櫃岳の北斜面をトラバース気味に登っていく事になるが、登山道が沢所状態になっている道が続き、歩いているうちにゴアの靴の中にも水が浸入して来た。登山道の幅は広いのだが、両脇から低木の枝が道に張り出し、歩ける空間は意外と狭い。そんな道も、乗鞍岳との分岐を過ぎた辺りからは、乾いた普通の登山道の場所が多くなった来た。
湿原の花を追っての山歩き
地獄峠の辺りからは、ヤブと小湿原が交互に現れるようになる。湿原に咲く多様な花々は、比較的単調な登山道に花を添え、飽きることなく歩みを進められた。駒ヶ峰の分岐を過ぎて暫らく行くと、黄瀬泡と呼ばれている湿原地帯に到着、此処からはいよいよ櫛ヶ峰へ登る道となる。此処までの道は、面影は殆ど消えているものの、車道として開削されただけあって平坦部が多い道だった。明治時代のの潜ん雪中行軍も、この車道を辿るコースを歩いたのであろう。明治の人に思いを馳せながら、「ここからは本格的な登山道」と気を引き締め、山頂を目指すことにする。
山頂からの北八宇田の峰々を一望する。
かつての車道と別れ櫛ヶ峰の山頂へ向かって歩いていくと、 乾燥化が進んだ湿原の中、木道を歩く様になった。ニッコウキスゲやキンコウカの大群落の中に、ギボウシが咲いているのが美しい。枯れ沢を越えてからは、花畑の広がる開放感のある尾根筋を登る様になった。歩くごとに視界が広がるのが気持ち良い。最後の斜面を登りきると、開けた櫛ヶ峰の山頂に到着。そこには山深い八甲田の全貌を一望できる展望が広がっていた。
北側には、北八甲田にある大岳、小岳、高田大岳の頂が並んで見える。南側には、十和田湖へと至る原始の森林地帯。そして眼下には櫛ヶ峰周辺の湿原地帯。八甲田山域の山深さを実感した櫛ヶ峰であった。
帰路は来た道を戻るが、駒ヶ峰分岐と乗鞍岳分岐の間で計3人の登山者とすれ違った。これだけの山なのに入山者が少ない。静かな山旅が楽しめる櫛ヶ峰であるが、この山域は「森林生物遺伝資源保存林」となっていて、原始性維持のためにササの狩り払い等が殆ど行われないエリアらしい。今回登れなかった駒ヶ峰や乗鞍岳を目指し、何時かまた来たいと思うが、その頃まで登山道が歩ける状態であって欲しいものである。