春を迎えると、毎年桜が咲くのを心待ちにする様になります。日に日に暖かくなってくると、「桜の花はいつ咲くのかな」と心待ちになるのですが、そんな季節に桜を愛でながら楽に登れる山を三山紹介したいと思います。
先ずは桐生市にある城山(じょうやま)標高361ⅿ。群馬県桐生市の北側にある山で、足尾山地から南に伸びる尾根筋の先端にあります。この山は、14世紀に桐生国綱が柄杓山城という山城を築いたことから、地元では柄杓山とも呼ばれています。この山の特徴は、中腹部から山頂にかけて桜が植えられていて、春には緑の小山の上からクリームをかけた様になっている事。この城山を、2017年4月15日に訪ねました。
桐生駅からバスに乗って約15分。桐生女子高校の停留所で下車すると、屋並みの奥に山頂部が桜で覆われた城山が見えて来ました。それはまるで「チョコレート菓子のポポロン」の様な姿で、山頂部だけが桜の木で覆われピンク色になっているという、何ともユーモラスな景色に、思わず笑みがこぼれてきます。
登山口となっている日枝神社から楠の樹林帯を登り、山頂に至る斜面に取付くと間もなく、足元には躑躅の花が咲き、見上げると空は満開の桜の花に覆われているという、まるで天国の様な風景の中に飛び込みました。斜面一面に植えられた満開の桜の下を登る贅沢。少しか風が吹くと花吹雪となり、まさに桃源郷の様な城山(柄杓山)でした。
光城山
次は長野県安曇野にある「光城山(ひかるじょうやま)」標高911m。長野県安曇野地方の東に位置していることから「東山」とも呼ばれています。この山も山城があった山で、鎌倉時代に海野氏が光城を築き、山頂から狼煙を上げて都からの急報を安曇野に伝えたと云われています。麓から山頂へ何本かの登山ルートが設けられていますが、お勧めは何といっても「さくらコース」。登山口から山頂までゆっくり歩いても1時間弱ですが、登山道沿いには1912年の大正天皇即位を祝って、約1500本のソメイヨシノやジンダイアケボノ等の桜が植えられていて、登山口から山頂まで桜の花の下を登ってゆけるのです。この光城山を2022年4月16日に訪ねました。
安曇野盆地に入ると、遠くからでも山の斜面を桜の花が一本の筋となって駆け上っている光城山を、すぐみつける事が出来ます。その姿はまるで昇り龍。光城山は2018年4月にも訪問したのですが、この時は時間切れで途中までしか登る事が出来ませんでした。今回は9時過ぎに麓に着いたので時間は十分です。登山口付近の桜は丁度花を落とした処でしたが、5分も登ると満開の桜の下を登る様になります。振り返ると、桜の花の間から安曇野の田畑が一望出来る様になりました。登山口から登る事45分で山頂に到着。一帯は桜の園で、大勢の人が桜の下で敷物を敷いて御弁当を広げていました。桜の木の下で「のんびりと寝転んでいたい。」そんな光城山でした。
最後は山梨の都留市にある「城山」標高571m。都留の市街地から桂川を挟んで西側にある山で、都留市街地を一望できる事から、地元では親しみを込めて「おしろやま」と呼ばれています。この山は戦国時代に小山田信有が砦を築き、その後1594年に浅野長政の家老だった浅野氏重によって、「勝山城」が築城されたという記録が残っています。城山の中腹部から上には沢山の桜の木が植えられていて、駅からも近いことから桜の名所にもなっていました。この城山を、2024年4月13日に訪ねました。
富士急行の都留市駅から一旦南へ下り、都留アルプスをミニ縦走。縦走路の途中から一旦市街地に下り桂川を渡ります。登山口から暫くは普通の登山道でしたが、5分程歩くと突然空が明るくなり満開の桜の斜面に出ました。
短い九十九折で三の丸、二の丸と高度を上げ、登山口から15分もかからず本丸跡の山頂に到着。頂上は開けていて、シートを広げて昼寝している家族連れもいます。そしてこの山の白眉は、なんといっても富士の眺望でしょう。桜の花の中に浮かんで見える富士山は絶景でした。富士と桜の取り合わせの素晴らしい「おしろやま」です。
今回紹介した山は、改めて振り返ってみると全て山城の築かれていた山でした。城が築かれるだけに低山ながら展望は抜群。そして山頂には桜の園があるのです。軽登山で展望を楽しみ、桜を愛でながら春を満喫できる山。そんな山旅に出かけてみませんか。